プロフィール

2015031311080001はじめまして。管理人の中村です。

発達障害の息子と2人暮らしのシングルマザーです。

わたしが今日本に住んで子供と2人で暮らすようになるまでのことを書いていこうと思います。

 

厳しい環境の中で出産を経験したわたしの心境は不安マックスでした

彼が生まれたのは今から20年前の韓国です。

体重3.0k、身長50cmの正常分娩で1月に生まれました。

韓国の冬は寒いです。

家の中はオンドルで暖かいのですが、外気は零下になるので外に出ると鼻の中が凍ります!

子供が生まれた当時、韓国はIMF経済危機で失業者が溢れていて、派遣社員だった元夫も仕事を転々とする失業者の一人でした。

国全体の雰囲気が重く危機感に覆われていたというか、我が家でさえ経済的にも厳しく明日の生活どうなるんだろう?子供を育てていけるんだろうか?と、いつも心には不安を抱えていました。

子供が一歳の誕生日を過ぎたころ風邪から肺炎をこじらせて病院に通院することになりました。

加湿器を一日中かけていなさいといわれましたが、その加湿器を買うお金もやっとだったのです。

肺炎には抗生物質を飲ませないといけないのですが、粉にして水に溶いてもなかなか飲んでくれず苦労しました。

実際に生活するのにお金がないという現実は人の心を頑なにし、相手に対する思いやりや優しさも発揮することができません。

わたしたちの家庭は精神的にもとても大変な時期を過ごしていました。

 

そんな状況の中でわたしは愛情いっぱいに子供に話しかけたり、スキンシップしたり、笑顔を振りまいたりということができなかったのですが、同じアパートに住んでいたアジュモニ(おばさん)にいろいろ助けてもらいました。

わたしにとって初めての子育てはわからないことばかりだったのですが、首が据わり、寝返りをするようになり、子供は順調に育つのだろうと思っていました。

音に敏感で寝てもすぐおきてしまったり、大勢の人がいるところに行くと激しく泣いてしばらく泣き止まないということがあり、神経質な子なのかなあと思ったことはありましたが、ほかの子と比べるようになるまでは特に問題がないのだと思っていました。

 

そのうちに彼が満2歳になっても言葉がでないので、そのころから病院や保育園や治療センターを転々とすることになりました。

当時は地方の病院の小児科の先生も、周りにも発達障害について知っている人はほとんどいません。

男の子は言葉がおそいからそのうち話すようになるとか、父親も言葉を話すのが遅かったという話を聞いていましたが、普段の行動や子供らしくない動作などが気になっていました。

それに同じぐらいの年の子供となんとなく違う違和感を感じていました。

言葉の壁、文化の違い、経済的困難、当時はパソコンもなく何をどうすればいいのかまったく手をつけられない状況でした。

父親はいましたが子供の治療に関心をもってくれる人ではなかったため、子供に関することはすべてわたしがしなければなりませんでした。

 

いちばん大変だった幼少期-警察に捜索届けを出すことも!

保育園に通う前に電車で片道1時間かかる治療室に6ヶ月ほど通ったことがありますが、エレベーターが気に入ってしまって、駅に設置されているエレベーターに乗らないと気がすまないので、一駅ごとに電車から飛び出してエレベーターに乗り、次来た電車に乗るということをしていましたし、電車の中を動き回るので周りの目がとても気になりました。

まだ小さいからと大目に見てもらえるところはあったのですが、行って帰ってくるのに往復5時間以上かかっていました。

 

当時住んでいた所は同じ敷地内に高層アパートや4階建てのショッピングセンターがあり、周りはエレベーターばかりです。

息子は玄関のドアのノブに背が届くようになると、自分で鍵を開けて一人で家の外に出て行くようになりました。

今手が離せないとか、もう少し待って!といってもそれが通じません。ご飯が済んですぐだったり、夕飯の準備中だったり、そのつどついては行ったんですが、一日に何度もとなるといい加減疲れてくるわけですよ。

子供の後をついて行き、ちゃんと家まで一人で帰ってこれるか?ということもしてみました。家のこともしなければいけないので、帰ってくるのがわかると一人で行かせることもありました。

ある時はアイスクリームを手に持っていて、どっから持ってきちゃったんだ~~?!とスーパーにお金を払いにいったこともあります。

帰ってくるから自分の家はわかるんだ、今日もエレベーターを一回りしたら帰ってくるだろうと思っていたある日のことです。

出て行ってから帰ってきません。

普通なら20分くらいで帰ってくるのに、1時間経っても、2時間経っても帰ってきません。

いつものコースを回ってみましたがどこにもいません。

それでさすがに心配になってしまい、帰宅した夫に言いましたが

「そのうち帰ってくるんだろう」

とあまり気にも留めない様子です。

 

夜7時を回っても帰ってこないので警察に届けを出しにいきました。このときも夫は

「疲れているんだから、あなたがいってくれば?」

という対応でした。

 

警察では一応届けを受け取るけれども、自宅で待機していてくださいといわれます。

届けを出して家に帰っても子供は帰っていません。

気が気ではなく、どうしよう!どうしよう!と不安はつのるばかりです。

もしものことがあったらわたしのせいだ!ぼろぼろ涙が止まりません!

 

どうすることもできず警察からの連絡を待っていると、ガチャっとドアの音がして一人で帰ってきました!

夜11時半過ぎです!!!

どこか怪我していたり、服が破れていたりということはありませんでした。

いつもどおりに帰ってきたんです!

今までどこにいて何をしてきたのか、誰かと会っていたのか、尋ねても答えてくれるわけもありません。

その日はすぐ寝てしまいましたが、寝顔を見ながらただ、ただ無事でよかった!と思いました

・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

 

それから次の日に扉の上のほうに鍵を別につけて、出かけるときは必ず一緒に行くことにしました。

雨の日も雪の日も、台風の日も、暑い日も、、、それが何ヶ月か続いてからエレベーターに乗らなくなりました。

 

一人で遊ぶことも多く、音には敏感で見ているテレビを消されたり、

11階のアパートの窓から部屋中のものを捨てたり、

パニックを起こして人目構わず泣き叫んだり、

目を離した瞬間にいなくなって、親は必死に探してるのに子供は普通にその辺を歩いていたということが何度もあって、、、、

何でこんなに大変なのかと子育てに自信をなくし、どうしたらいいものか途方にくれていました。

 

周りにはそんな子がいなかったので、相談できる人がいなくて本当に辛かったです。

お腹を痛めて産んだ子が普通の子と違う、何かにつけて問題を起こす、精神的にも幼かったわたしは神様は何でこんな試練を下さるのかとよく泣いていました。

親の反対を押し切って海外に飛び出したため、実家に泣き言を言うわけにもいかず、周りからは母親が外国人だから子供が言葉を話せないとか、しつけがなっていないと言われ、夫からはお前のせいだと責められ、子どもを置いて家をでてしまおうかと精神的にも追い詰められていました。

父方の親からはお祓いをしろと韓国の儀式に参加させられ、

親戚全員が集まるお盆や旧正月は田舎に必ず行かないといけないので、

その度じっとしていない子供を何時間も電車とバスを乗り継いでやっと連れて行くのでくたくたでした。

 

日常生活で不便に感じたことと、元夫の収集癖がエスカレートしていきました!

子供はよく家の中を走っていました。

あるときは下の階の人が1人暮らしのおばあさんです。

足音が響くので静かにして欲しい、迷惑になると何度か苦情を言われました。

元夫は昼間は家にいなので、いつも苦情を聞くのはわたしです。

引越しするたびに1階に住みたいということを伝えましたが、自分は1階が好きじゃないからという理由で聞いてくれません。

 

彼の趣味はアマチュア無線でしたがとてもお金がかかります。

複数のアマチュア無線機とアンテナを集め、もっと通信を遠くに飛ばすためにタワーまで建てる始末です。

アマチュア無線機は韓国製はなく、KENWOODとかYAESUとか全部日本製です。

彼が言うには信号を遠くに飛ばすためには1階ではだめだというわけですね。

無線というと、タクシーの運転手が無線で会話してる、あれですが、あれ家の中でずっとやられてると結構神経に来ます。

子供はあの音が嫌いですぐ無線機のスイッチを切ってしまうのです。

それでよく怒られるので昼間は外に連れ出していました。

 

無線機の種類ってトランシーバータイプからオールモードタイプまで、その金額は5万から30万円くらいします。

当時の日本円が韓国ウォンの13倍の価値があったことを考えても相当な金額です。

それ以外にも昔の真空管ラジオや手巻きの古時計、高さ2m以上ののヨーロッパ製の大きな柱時計、ステレオ、スピーカー、蓄音機、、、と、骨董品収集にはまりました。

一つ一つを海外から取り寄せて、その金額は5万円から50万円です。

あるときは何十年も経ったという松の盆栽に凝ったときもありました~。

そのお金をどうしたのかというと、ボーナス払い、銀行から借入れ、ついには日本の親に出してもらえとか、、、

書きながら情けなくなりますが、無線機に関してはわたしが日本人だから日本の会社に電話しろ、通訳しろ、取り寄せろとだんだん内容はエスカレートしていきました。

そんなことしている時ではないだろうと言うと、しまいには酒を飲んだあげく家中のものを破壊し始めます。

かなづちを振り回してテレビや照明器具のガラスをを割り始めた時は、本当に殺されると思って子供と家を飛び出しました!!!

そんなことが一度や二度ではなかったのです。

近くに住んでいる日本人のご主人に説得しに行ってもらったり、義弟や義父母に相談したりしましたが遠くに住んでいたので良くはなりませんでした。

精神的にストレスを受け、それが溜まりに溜まって、お酒の力で爆発するというパターンです。

そういうことが度重なり、子供の治療のことや将来のことを考えると一層不安になるのでした。

 

子供の成長に伴い日本に帰ることを考えるようになりました

感覚治療や言語治療に通わなければならないことを夫に伝えると、じゃああなたが働けば?毎日家で何してんの?という反応です。

同じ立場の韓国のママ友に聞くと「それはおかしい!」と口をそろえて言われました。

よそのご主人は協力的で、手のかかる子供のことを考えてくれていましたが、うちの場合は家族のことより夫の趣味が最優先でした。

大学病院で子供の診断を受ける時にも、仕事を休んで一緒に行ってくれるということは一度もありませんでした。

慣れない韓国語で医療用語を説明されてもよくわからないといっても、いまだにハングルもできるようにならないのかという言葉が返ってきました。

わたしが外国人であるために、父親でないといけない書類提出とか、子供の名前で銀行の通帳を作るときには父親を連れてきてくださいと言われるのですが、そういうことでつき合わされるのをひどく嫌がりました。

慣れない大学病院で検査を待つときの心細さといったら言葉には言い表せません。

検査のために2泊3日精神病棟に入れられたのですが、不安で泣きそうになるのを必死にこらえていました。

 

保育園の連絡帳、病院への手続き、役所への提出書類など、元夫は一切してくれなかったのでわからない単語は全部自分で韓日辞典を引きながら覚えました。

「お母さんが外国人だから子どもが言葉がしゃべれない」 この言葉を聞くのが本当に嫌でわからない言葉があれば必死に辞書を引いて調べることが習慣になりました。

子どもが始めてハングルを覚える時に使う表を見ながら、声に出して発音練習をしました。

特に日本人が苦手な発音を何十回も声に出しました。

そうしているうちに何年も韓国に住んでいる日本人より韓国語がうまくなり、韓国の人からも発音上手だね!韓国人みたい!と言われるほどになりました。

必死に努力しただけのことはありましたね。

 

そのうちに息子のように障害のある子どもと一般の子どもが一緒に通う保育園を見つけて、そこでお母さん達との交流を持つようになりました。

でもその当時はわたしがまだ韓国のお母さん達になじめなくて、精神的にも壁を作っていたように思います。

息子は言語治療に通いながら特殊学級のある小学校に入学します。

小学校に入るときもとても不安でしたが、担任の先生にはとても恵まれて関心を持っていただけました。

どんな先生が担任になるかはとても大事なことなんです。

変な先生に当たるとクラス全員から無視されるようなこともあります。

先生の態度によって生徒達は変わるからです。

学校の授業についていけないのはしょうがないと思っていましたが、学年があがるごとに支援学校への転入を考えざるをえませんでした。

中学、高校になると、受け入れてくれるところも少なくなっていくからです。

子供の将来について夫には相談していましたが、お互い考えていることがまったくかみ合わず、このまま韓国で暮らしていたらますます大変になるだろうと思いました。

そんな中、以前子どもが日本の支援学校に通っていたという韓国のお母さんに出会います。

その方に日本の支援学校を紹介してもらって平成25年3月に子供と2人で日本に帰りました。

 

日本の支援学校に転入してからの生活

息子はまったく日本語ができなかったので、先生の言葉は理解できないし環境は変わるしで大変なストレスだったろうと思います。

転入後の2週間、わたしは息子と一緒に支援学校で授業を受け、先生の言葉を通訳していました。

 

新しい環境になじめるかが心配でしたが、田舎の支援学校は自然に囲まれ、クラスは家庭的な温かい雰囲気でした。(1クラス5人の生徒に補助の先生も入れて先生が3人!)、生徒の能力に合わせて指導をしてくださるので転入してよかったと思いました。

次第に学校でも笑顔が見られるようになり、韓国にいたときには薬を飲んでいましたが、支援学校では必要ないということで飲まなくなりました。

 

日本に帰ってからはとにかくパソコンは必要だと思い、わたしはパソコンを購入し必死に情報を集めるようになりました。

住んでいるところが田舎であることと、子供を一人で家においておけないため外に働きに行くよりも在宅ワークで収入を得ることができないかといろいろ試みました。

 

物販アフィリエイトの教材を買ってブログを何百と作ったり、ヤフオクで物を仕入れてアマゾンで販売する電脳せどりをしてみたり、、、、、でもまとまった収入になりませんでした!

変な商材を購入してしまったこともあり、生活費がない!!ということもありましたが、でも、不思議なことに必要最低限な分はちゃんと与えられて、飢えて死ぬということもありませんでした。

 

その後ブログを書くということに専念し、1年半ほど記事を書いているうちに、読んでくださる方やコメントをくださる方が少しずつ増えてきました。

そうして自分以外にも発達障害のお子さんを持つ親や、家族やパートナーや同僚が発達障害で悩みを抱えている方が随分いらっしゃるということを知りました。

 

子供の発達に不安を持つお母さんや家族の方の気持ちに寄り添うことはできないか?と考えるようになりました

発達障害のお子さんの障害の程度にもよりますが、保育園などに預けられる前までの母親と2人きりになる時間が多い時期が、発達障害のお子さんを持つお母様がいちばん大変な時期だと思います。

特に初めての子育てはママも新米で戸惑うことばかりなので、こだわりの強い子供にお手上げになるかもしれません。

うちの場合で言えば、周りの同い年の子供たちが絵カードの意味を理解し始めているのに息子はわかっていないようでした。

普通小さい子供はママがいなくなると大泣きしたり、外に行けばママの後をついていくのですが、息子は少しもじっとしていない子で、我が道を行くのでしょっちゅう迷子になってました。

手の使い方も不器用でした。

定型発達の子供よりできないことが沢山あって、この子は生涯こうなのか~と思うと先が真っ暗でした。

当時は自閉症は一生治らないと言われていたし、特に6才を過ぎるとそれ以上脳が発達しないという本を書いてくださった教育関係のエライ先生がいて、わたしはしっかりそれを信じてしまったのですorz

 

けれども現実はそうではありませんでした。

知的障害のある子供と定型発達の子どもが通う保育園に通い始めるようになってから、少しづつ変化が見えるようになったのです。

子どもが保育園に通うようになったのでまずわたしが精神的に余裕が持てるようになり、同じ立場のお母さん達と情報交流ができるようになりました。

保育園の先生との連絡帳のやり取りでは、簡単な言葉は理解してますよ~、笑顔も見えるようになってきましたよ~という嬉しい報告ももらえるようになりました。

最初は半信半疑でしたが、ある朝、先生に渡す写真かなんかがあったので、

「保育園にいったら先生にこれを渡してね。」

と子供に見せながら送り出したのですが、その日の連絡帳で、お子さんが朝着いたらすぐ写真を先生にくれましたよ^^という返事が書いてありました!

言っていることがわかってる?!

その日子供をめちゃくちゃ褒めたのを覚えています。

 

その後の参観日と交流会で、

先生が「○○取って来て」とか、

フルーツの盛ってあるお皿から「スイカちょうだい」とか、

「○○ゴミ箱に捨ててね」

などの言葉にちゃんと反応していて、随分わかるようになりましたよね~^^という、

子供がちゃんと理解していることを確かめることができました!

そのとき先生の前で涙が止まらなかったのはいうまでもありません。

言葉の話せない子供は対話は難しいのですが、ほかの子や先生の言葉を聞きながら、ゆっくりインプットしています。

時間はかかりますが少しずつ、でも確実に積みあがっているはずです。

はさみや箸も繰り返し練習することで使えるようになり、簡単な計算や読み書きもできるようになりました。

何かに特化した才能が見つかる時もありますね。

 

今いちばん大変!と思う方や、子育てが疲れた、もうやめたいと思う方がいらっしゃるなら、お子さんはママの言葉がちゃんとわかってますよ!とお伝えしたいです。

 

重度の発達障害の子供にどうせ言ってもわからない、何も考えてないと親や周囲の大人は思ってしまうのですが、自閉症の方の手記などを読むと全部わかっていると言います。

また、言葉の話せない子はその分敏感というか、相手の心の状態や雰囲気を感じ取るようなのです。

発達障害とはどんな障害で、どんな特徴があるのか、定型発達の人たちがどのように助けてあげればいいのか、学校の選び方、卒業後の進路、受けられる制度など、わたしたちが体験したことも記事にしていきます。

このブログを訪れてくださった方に少しでもお役に立つ情報を提供できればと思います。

 

20年後の息子はこんなに大きくなりました!

2018年3月に支援学校を無事卒業した息子は、3月の終わりから地元の生活介護の事業所に通うことになりました。

新利用者歓迎会では全員が正装して迎えてくれるのだそうで、スーツを新調して参加しました。

今年入って来る利用者は一人だったそうですが、歓迎会では立派に挨拶できましたよと教えていただきました。(文字は読めるので用意してもらった簡単な文章を読んだそうです。)

学校からの切り替えがスムーズに行われ、事業所の方々も気を配ってくださるのでとても感謝だなあと思います。

生活介護では、クラフト、ファーム、リサイクル、食品加工などがあり、実習で経験したリサイクル班から始めることになりました。

事業所は9時半から15時半で、帰りは16時55分に帰宅します。

地元なので朝もゆっくりできるし、自然の中でのびのび過ごせるのでよいかなあと思います。

今も人が大勢いるところや賑やかな場所は苦手なようで、作業の合間に静かなところに移動するようですが、自分なりに居場所を見つけて過ごし方を考えているようです。

利用者さんは80人くらいいて最初は人の多い食堂で食事を取ることもできなかったのですが、

初めの頃に比べると随分慣れてきましたよ~とスタッフの方に言ってもらえるようになりました。

だんだん今の環境に慣れていくように、そして人との関わりの中で得ていくものがあればいいと思います^^

 

息子は学校を卒業し事業所を利用することになりましたが、これから生きていく時間の方ががもっと長いのです。

親はいつまで元気でいられるのか?

親の亡き後誰かが見てくれるのか?

兄弟がいる人は見てくれるでしょうか?

今は誰もが自分の生活で精一杯です。

国に期待できるでしょうか?

この先何が起こるかわからない、そんなときに経済的な余裕があればまだいいですが、自分の老後、子供の将来まで準備できているという方はどれほどいるでしょうか。

実際はほとんどの方が未来に不安を抱えていると思います。

わたしは日本に帰ってから、私と子供が幸せな未来を生きるために何ができるかと考えてみました。

ただ忙しく毎日を送っていてもなにも変わりません。

何か始めなければとブログをはじめたのですが、経済的な不安や未来への心配はいつも付きまといます。

 

最近関心を持ってやっていることについて

在宅収入を得る方法をいろいろやってみたんですけど、お金を稼ぐというのはやはり簡単じゃありません。

なんとかぎりぎりの生活はできるけれど、いつもお金がないという焦りが心の中にあるわけです。

それで豊かに暮らしている人の考え方や行動を学ばなければ変わらないのではないか?

と思うようになり情報を集めはじめました。

お金に困らなくなるには、成功するには、心が豊かになるためには、、、、

自己啓発系の本やブログを読んでいくうちに、

『豊かになるには価値を提供できる人間になることだ』

という文字が目に入るようになりました。

最初はピンと来なかったです。

(ふーん、そうなんだ)と知識として理解しますが、それはそれ、現実は現実という感じでした。

わたしは教会に通っていますが、説教者の話がすごくいい話だった、感動したといいながら、それで満足していては今までと何も変わりません。

知識を学んだからといってそれを自分の生活に適応していかなければいけないのですが、今まではそうすることができませんでした。

 

自己啓発には

あなたの思いが変われば行動が変わり、行動が変われば習慣が変わり、習慣が変われば人生が変わる

という言葉があります。

みんなが成功したいし祝福された人生を生きたいと思うのですが、周りを見ると実際そうでない人が沢山います。

よく成功者の今だけを見ていいな~と思いますが、成功者は目に見えない水面下の努力を必死にしてこられたということを理解できるまでに時間がかかりました。

成功者は寝る時間や娯楽の時間を返上して、ひたすら前だけを見て打ち込んでいた時期があったのです。

人間なので失敗してうまくいかなかったことも、気を落としてしまったことも数え切れなくらいあったはずです。

その目に見えない努力を見ないで、成功した姿だけを見ていてはいけないのだなあということがすこしづつわかるようになりました。

 

最近わたしはいろいろなセミナーに参加し、音声セミナーを繰り返し聞き、自分が変わるための試みをしています。

今までの自分が変わるには反復して自分の価値観を書き換えなければいけないようです。

今までの自分の人生を客観的に振返り分析してみることも必要なんだそうです。

 

今回プロフィールを追記しました。

昔のことを思い出して文字にするのは辛いかな~と怖かったのですが、ひとつひとつ整理してみると、それらのことがあったので今の自分があるんだなあと気づくことができました。

辛さ、悲しみ、情けなさ、愚かさ、とても誇れるような人生とはいえないけど、振返ってみれば今役に立っていることもあるからです。

・何にもしてくれない元ダンナのお陰でハングル上達したし!(韓国人と会話できるレベルです)

・そのハングルの実力を生かして韓国語の翻訳や通訳をし、近所のおばちゃんにハングルを教えてます。

・こつこつ努力する忍耐力も付いたし!

・子供のお陰で謙虚になれたようです!

・パソコンが使えるようになりお小遣い程度は稼げるようになりました!

・だいぶ精神的に鍛えられたような気がします!

 

あと海外に住んで見てわかったこともあったんです。

・韓国人の情の深さに触れました

・日本が恵まれた国だったということがわかりました

・日本の常識は世界では通じないということがわかりました

・多くの人に助けられて今のわたしたちがあるんだなと思えるようになりました

いろいろ回り道もしたけど頑張ったじゃんわたしたち^^

 

障害のある子どもがいてもシングルマザーでも、幸せになれる方法はないだろうか?

豊かになれるだろうか?

試行錯誤しながらわたしがたどり着いたのは、自分が成長することだったのです。

子育てをしながらはじめは周りの子供と違う息子の問題行動ばかりに目が行き、どうすれば周りに合わせることができるか、迷惑をかけないようにできるかということに焦点を当てていましたが、

周りと比べてもしょうがないし、子供のできるようになったことに目を向けたらどうだろうか、子供のよいところ、やさしいところに目を向けて、

わたしの器を大きくして受け入れる姿勢が大事なんだと思うようになりました。

言葉で言うほど簡単ではありませんが、親の視点が変っていくと子供の違う面が見えてきて、受け止められるようになっただけ親の気持ちも軽くなっていくのです。

親の心が少し変わっただけで子供がいとおしく思える瞬間があるのです。

わたしは障害児を持つお母さん達に元気になってほしいと思います。

心の豊かなお母さんたちが増えれば子供たちも幸せになり、更には障害のある方を受け入れる会社や事業所が活性化するようになり、世の中の偏見も変わっていくのではないかと思います。

そのためにお金は必要だしお金を稼ぐ方法も学び、心の持ち方の勉強もしていこうと思います。

 

ここまで読んでくださったあなたへ

半世紀の人生を振り返って結局わたしは何を求めていたのかな、どういう未来を望んでいたのかな?と考えるようになりました。

わたしはどうしたら毎日をもっと心穏やかに暮らせるだろうかということを考えるようになりました。

わたしの周りに人生を豊かに生きている人が増えれば、幸福度の高い人が増えればいいなと思うようになりました。

 

今でも実感していますが、このままでは身体も衰えていくし病気にかかるリスクも上がります。

健康にも今以上に気を遣わないといけないし、精神的にも鍛えていかないといけません。

そういう気持ちで少しづつ意識していくと小さな変化が現れてきました。

わたしの価値観が変わってくると付き合う人達も変わってきました。

以前ほど人の言葉に感情を左右されなくなってきました。

価値観を共有できる仲間作りをしたいと思うようになりました。

そのような仲間作りができたらそこからいろんなアイディアが生まれてきそうです。

 

これからの時代はパソコンやタブレットやスマートフォンが扱えるようになるといいですよ。

わたしの年代、特に50代以上の方はパソコンやスマホが使えないという人が結構周りにもいるんですが、これから10年後はもっと世界が変わっていきます。

もうこの年でいいわ~と言わずにどんどん新しいことに興味を持っていきましょう。

人生100歳まで生きることを考えたら50代でもこれから後半戦なのですから!

ご自分の人生設計を再設定しないといけないのではないでしょうか?

 

わたしも障害を持つ子供の親として人生の後半の目標を再設定しました。

心が穏やかで健康で、お金にも困らない、ずっと一緒にいたい仲間がいる、そんな人生を生きようと努力しています。

わたしたちは自分で知っていることがすべてだと思っていますが、実は知らないことが沢山あります。

これからは何に対しても自分の今までの先入観やこだわりを一旦おいといて、素直な気持ちで学んでいくようにすると、今まで親や先生が教えてくれなかったこと、学校の勉強では学べなかったことが沢山見えてくるようになります。

今までの常識で考えていたことが全く違っていた!ということに気づくと世界が広がります。

これからの時代を生きていくための新しい情報もお届けできるようになると思います。

この世に生まれてきたあなたも、あなたのお子さんも幸せになるために生まれてきたと思うんです。

発達障害の子供とお母さんの幸福度を上げる未来を一緒に作っていきませんか?

 

中村美奈子

2018.12.8 追記

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